結婚とニューヨークへの導き

2010年2月27日(土)夜、冬の白馬キャンプの終了後、東京アンテオケ教会で、親族及び教会の皆さんに見守られ、NY教会の浅野牧師と祝福された結婚式を挙げることができました。私の思いをはるかに超えた、主の計画と恵みに驚くばかりです。その導きの経緯をお伝えしたいと思います。

神様からの語りかけが始まる

2009年秋ごろ、個人のデボーション箇所を読んでいた時、創世記12章1節の御言葉「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」が強く心に響きました。それから教会の礼拝メッセージでも、同じ箇所から秋元牧師がメッセージを語られ、その頃は何回もそこから語られていて、そのたびにドキッとしていて、やはり主が私に語っているという思いがはっきりしてきました。私は東京が実家で一度も両親のもとを離れたことがないのですが、どこかに遣わされるのか、と思いました。しかし、全くあてはなく、両親は、ずっと私の結婚を望んでいましたが、その頃はあきらめかけて、うるさく言わなくなり、これからは私が一人でも生きていけるよういろいろ考えていてくれていたようです。なので、宣教師として遣わされるにしても、両親には理解してもらえないだろうし、どうやって食べていくのか、と反対されるだろうし、ひどく心配をかけてしまうというのは目に見えていたのです。しかし、創世記12章1節の御言葉があまりにも何回も語られ、心に響き、迫るものがあったので、「あなたが遣わされるなら、御心の形で両親のもとを離れることができますように。『わたしが示す地』とありますが、あなたが示す地はどこでしょうか。」という祈りだけをしていました。そして、私たちの教会では、主の示しにより、新年は11月に始まるので、新年度に何か新しいことを主がされようとしていると強く思いました。

結婚の導き

そして、2010年11月新年度が始まり、北米にある主の十字架の教会をすべて一度に回るというチームが初めて約2週間の日程で遣わされることになりました。そのチームが帰国した直後12月に入っての最初の礼拝の後、そのチームの副リーダーの秋元牧師(リーダーはイエス・キリスト)に声をかけられ、NYにミッションがスタートすることが示されたこと、NYは世界の7つのポイントの一つの都市であることなどを、伝えて来られました。当時、私は、教会の海外宣教部門ミッション内の北米部門のスタッフだったので、この示しを覚えて祈るように言われているのかと思いました。しかし、かなり遠まわしでしたが、おっしゃりたかったのは、NYの浅野牧師との結婚のことだとわかり、非常に驚きました。しかし、浅野牧師がどうと、言うことではなく、その話を聞いたとき、平安があり、祈りの答えなのでは、と思いました。というのは、その2日前、デボーションの箇所で、1コリント7章を読んでいて、主は終わりの時代、ひたすら主のお仕えするために選べるなら、結婚しないほうがよい、と書いてありました。この終わりの時代に生かされ、召されたのだから、この際、結婚のことをはっきりさせ、結婚しないなら、それなりの祈りを具体的にしていかなければならないから、結婚しないことに決めようと思ったのです。そして、それを主に祈ろうとしたら、絶対無理!という思いが湧きあがってきました。そこで、「主よ、私は一人で生きていくのは無理です。これまで一人で生活したことがありませんし、寂しすぎます。もし結婚しないことが導きなら、精神的に、経済的にあなたが支えてください」と祈りました。この祈りをしていたので、牧師から結婚の話があったとき、主の答えであり、主が結婚を備えてくださっているのだ、と思いました。しかし、結婚については、たくさんの確認をとるように教会で教えられていましたし、だいたい浅野牧師をほとんど知らなかったので、相手を知らずしての結婚はありえないし、それから確認にはいりました。私は北米部門のスタッフとしてずっと奉仕していましたが、NYの浅野牧師とは事務的な連絡事項のメール連絡だけ、しかも、ずっと彼に対して悪いイメージをもってしまっていて、海外派遣チームで見かけることがあっても、男性でもあるし、北米の宣教師だから、あえて接しようなどという思いも、毛頭ありませんでした。しかし、2009年3月、ロサンゼルスで行われたマーリン子供アメリカチームで、たまたまNYから浅野牧師が到着されたときに、ホテルのロビーにスタッフである私がいて、親戚の方を紹介されただけなのですが、それまで持っていた悪いイメージが一掃されたことを覚えています。そんな中、今回の結婚の話をいただき、秋元牧師に取り次いでいただき、それから毎日Eメールで彼とやりとりをしました。ローマ11章36節「すべてのことが、神から発し、」、IIコリント5章18節「これらのことはすべて、神から出ているのです。」から語りかけを受け、今回のことは主からすべて出ているという思いが、あらためて確認されました。

遣わされる先の確認

そして、あるとき、バイトへ行くためバスを待っていたとき、主に、私は北米部門に所属し、アメリカには重荷が与えられていますが、ニューヨークとは語られたことがありません、と祈っていました。バスに乗り込み、、アメリカの中でどこに重荷があると言われれば、それはニューヨークだな、と自分の心の中で思っていたとき、私の乗ったバスが赤信号で停車しました。そこにバンが入ってきて隣に停車しました。そのバンの車体には、「マンハッタン流通サービス・ビジネス・パートナー」と書いてあり、マンハッタンの摩天楼の絵まで描いてありました。私は、びっくりして、まじまじとその車体を見ていました。それは、主からの語りかけ、とはっきりわかりました。はっきりと分かったのは、主の備えは素晴らしいのですが、2009年夏の白馬キャンプに、28日のプレキャンプから行くべきか、29日の本キャンプから行くべきかと祈っていたとき、やはりバスに乗ったとき、運転手の名前のプレートが貼ってあり、そこに「白馬一八」という名前で、非常に驚きました。ぱっと見たとき、これは28日のプレから参加するようにということだと思ったのですが、私は本キャンプからでも十分という思いと、経済的なことを考えていて、いや、1足す8は、9だから、29日からでいい、と自分の考え通りにしてしまいました。キャンプに行ってみて、やはり主はプレからを導いておられ、その経済も備えられていたのがわかり、悔い改めたことがありました。ですから、今回の「マンハッタン」の語りかけは、主がこのような形でも語ってくださると体験していたので、主からである、とはっきりわかりました。

さらなる確認を求めて

あとは、実際的な確認で、とにかく会って話をしてみないと、答えは出せない、と思いました。浅野牧師にそう伝えると、困ってしまったようで、結局冬の白馬キャンプに会いに来るということになりました。しかし、12月末には、はっきりと主から(霊的)の示しの確認がとれていたので、実際的な確認をとるため2月の終わりの白馬キャンプまで、待たなければならないのかという思いがありました。日々のメールをとおしての交わりがとても楽しく、心に温かいものを感じ、そのうち電話で話すようになりました。私が会わないと決められないと言っていたのですが、そのことも主に祈ると、主が導いている相手だから大丈夫、という思いとともに平安がありました。そして相手と馬が合わなかったらどうしよう、という思いが来るたびに、やっぱり会って時間をかけないといけないのではという不安が来るたびに、お祈りすると、やはり平安が来ました。そこで、彼に主が導いていることの確認がとれているので、結婚をお受けすることを伝えました。

備えのすばらしさ―祝福された結婚式

そして、1月アメリカチームが遣わされていた最中、浅野牧師からメールで連絡がはいり、結婚式の日取りが決まった、というのです。2月27日(土)夜7時とのことでした。私はそんな突然!と思いましたが、お忙しいスケジュールをこなしておられる秋元牧師の都合がその日しか取れないということでした。ですから、結婚式まで一ヶ月余り、準備を進めなければならなくなり、あまりにいろんなことをいっぺんに準備しなければならず、わからないことも多くパニックになりそうでした。しかし、両親のサポートを受け、教会でも伝道部の冠婚葬祭という部門が出来ていて、そのサポートを受け、何を準備し手配したらよいかわからない私でしたが、結婚式の段取り、ウエディングドレスなど主の備えと教会のいろいろな兄弟姉妹の助けに心から感謝しました。私たちが願う以上のはるかに祝福された結婚式となりました。たくさんの教会の皆さん、共に長年奉仕を共にしてきた兄弟姉妹に参列していただき、祝福していただきました。また、何よりも、私たちの両家の親族が、ほとんど救われていなかったので、結婚式は福音伝道の場となり、賛美がたくさん歌われ、すばらしい主のみわざの証とともに、イエス・キリストの福音がはっきりと語られ、救いの祈りが導かれました。両親は、福島や地方から親族を招く手前、結婚式が土曜のしかも夜という時間帯になったことをかなり渋っていました。このように一般の結婚式とは大分違う内容で、親族はどのように思っていたのかと気になりましたが、両親ともすばらしい暖かい結婚式であったと感動し、喜んでいて、いろいろ助け、準備してもらった教会の方々、司式をしてくださった牧師に本当に感謝していました。身内だけのこぢんまりとした結婚式でよい、と思っていましたが、思いがけず、私の属する教会が結婚式会場となったことで、多くの祝福をいただきました。このような形でニューヨークへ遣わしていただけたことを心から主に感謝しています。

備えのすばらしさ(2)―父の救い

そして、もうひとつ、主の備えのすばらしさは、遣わされることが示された、2009年の秋の前、7月から8月にかけて、父に救いの機会を主が備えておられたことです。その頃、父は、胆嚢の摘出手術を受けました。人生初めての手術で、しかも80歳を迎えていましたので、体力的にも心配でしたし、何よりも痛みを恐れていて、精神的に大変であることがよく分かりました。このことについて教会の祈りのネットで皆さんにお祈りしていただきました。父は、手術のあと、痛みがなく、不思議だと驚いていました。その後全身麻酔の影響もあって、幻覚がみえたり、精神的に不安定となり、病院側から家族の人が付き添ってください、と言われ、私は2泊病室に泊まり、父と一対一で生涯のうちで、こんなに父と向き合って、じっくりと時間を過ごし、父を見つめていることはなかったと思いました。もう安定してきたから今日で付き添いは要らないと言われた日、今日、父に福音を語り、救いの招きの祈りまで導かなければという強い思いが与えられ、寝ている父に、まず痛みがなかったというのは祈りの答えであったことを父に伝え、イエス・キリストの福音を語り始めました。すると、父は、寝たままだとバチが当たると、起き上がり、ベッドの脇に腰掛け、頭を垂れて、私の後についてイエス・キリストを信じる祈り、悔い改めの祈りをしてくれました。これまでも福音を伝えたことがあって、馬鹿にされたこともあったので、こんなに素直に応答してくれた父をみながら、私が驚いており、聖霊様が祈りをとおして働いてくださったとしか言いようがありません。教会の祈りのバックを感じました。主をほめたたえます。

私が結婚という形で遣わされる前に、このように父の救いを備えてくださっていた主に、心から感謝しています。 両親が心配しないようにという祈りの答えは、結婚という形で遣わされるという主が最善のご計画を用意していてくださいました。主の恵みと導きを心から感謝し、主を心からほめたたえます。

浅野 直子