イエス・キリストを信じるに至るまで

私は仏教と神道、祖先を大切にするという典型的な福島県出身の両親のもとに生まれました。両親は、東京に上京して結婚し、事業を始め、家具もローンで買いそろえるなど、結婚してしばらくは大変だったようです。昔でいう小学校しか出ていない父は、子供たちには大学まで行かせてあげたいと頑張ってくれました。私は中学校から授業に英語が加えられるようになってから、英語が好きになり、それと並行して他の科目もできるようになって、先生に驚かれました。何にもたいした興味がなく、自分に自信がなかった私が、英語を見つけて、自信とやる気を起こさせてもらったように感じます。

 

そして、英語が学べる大学を中心に選んで受験し、ミッション系の大学に入学することができました。必修科目に「聖書」関係のクラスを選択しなければならず、毎週金曜のお昼に生徒対象(自由参加)にミサが行われていましたが、宗教は考え方を狭くすると、聖書のクラスも聖書の歴史関係のクラスをとって、聖書に触れることは避け、ミサに出ている人たちを、弱い、偏狭な人たちのように見ていたのです。

 

大学4年の卒論の担当教師が、シスターでした。私はそのシスターは好きで、いろいろ指導を受け、4年のクリスマスの頃、お礼の挨拶にシスターの部屋を訪ねました。その時、どんな会話を話したのか覚えていませんが、はっきり覚えているのは、シスターが引用された御言葉、ローマ8章28節「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」でした。この御言葉を聞いたとき、就職が厳しい折でもあり、こんなに希望にあふれた言葉が聖書に書いてあるのかと、心が開き、このことをきっかけに神様を求める気持ちが与えられてきました。

 

実際に、神の愛、イエス・キリストの十字架という福音を聞いたのは、卒業間近、キャンパス・クルセードというアメリカのクリスチャンの学生たちからでした。彼らが東京に来て日本人大学生を対象に集会をもっていて、それに友人に誘われて参加しました。私はこれまで、ごく普通の日本人のように新年には神社へ、旅でお寺へ行ったりしていましたが、神が愛であり、創造主であるというご人格をもったお方と聞いたのは初めてで、これは本物の神様に違いないとすぐに心を開きました。これまで当たり前のように見ていた、空や木々や植物が、創造されたものであると思うと、それらが輝いて目に映り、感動していました。

 

それから、自分が神から離れていたことが罪の中心であり、自己中心、高慢、ねたみ、偽り等、心の内にある様々な罪に気づかされて、イエス・キリストの十字架は自分の罪のために身代わりであったと信じ、救い主と受け入れました。裁きと滅びからの救い、天国の確かな希望、神が私たち一人ひとりを愛されていることを、教会に通うなかで、年月をかけて教えていただき、信じ受け取ることを教えていただきました。

卒業後、インターナショナルスクールに就職することができました。英語と日本語が半々で業務をするオフィスで、英語が好きだったので夢がかなったような職場でしたが、数年後、神様に英語を捧げて、献身する道を選び、神学校で学びました。

今、海外留学をしたこともない者が、アメリカで宣教師として遣わされ、生活していることも、英語が好きで学んできたことが、主に従う道で本当に生かされていることを覚えて、感謝しています。私の人生を最善に導いてくださっている主に心から感謝しています。