試練の時を振り返って - 牧師に導かれるまで

一時帰国の導き

写真 「神は大いなる事をなして測りしれず、その奇しいみわざは数えきれない。」 ヨブ記5章 9節

私が左側の腰に痛みを感じるようになっていた頃のことです。過去に右の鼠径ヘルニアの手術をしましたが、その時の経験上、左腰に来る痛みを鼠径ヘルニアが原因だと信じ、手術を検討し始めました。たまたま2006年10月、NYC(ニューヨーク市)で学会に参加した友人と再会の折、鼠径ヘルニアの手術を帰国して受ける計画を進めていました。

一月に入り、まず必要な手術費、入院費を用意できた事と、綿密な帰国日程を友人の医師に知らせ、帰国するや即手術を受け、その経過を見計らってアメリカに帰る、少し無茶な計画を立てていました。 友人の医師は、外科医を紹介してくれて、手術日程を知らせてくれたと共に、もし診断が異なると問題となるので、アメリカで診断を受け情報提供書を送って欲しいとの事でした。

二月に入り、外科医に行って診断を受けたところ、あなたは鼠径ヘルニアではないと言われ、よって手術する必要はないと書かれた診断書を受け取ってしまいました。正直言って喜ぶべき報せではあったのですが、一体どうしようかと戸惑ってしまいました。 ちょうどその頃、「弓野牧師(当時のNY教会の牧師)三月に日本に帰国」と言うメールを受け取り、再び三月初め受け取ったメールには、NY教会の後任牧師が決まっておらず、私にNY教会の屋台骨を支えてほしいとの事でした。

イスラエル派遣をきっかけに献身し、神学校で学んでいたものの、一体どう答えていいのか困ってしまう情けない心情でした。 友人の医師には、紹介して頂いた外科医の診断でその指示に従う覚悟ができている事、すでに必要な経費と休暇を取ったため予定通り帰国する事を知らせましたので、四月の初めに東京アンテオケ教会の礼拝に参加しますとだけ返事を送りました。

そして日本に着くとすぐ第一の関門である医者へ行き、診断を受けました。 やはり私の思い違いであって手術を回避できたのです。 またその時のために予約しておいた人間ドックに行き精密検査を受けましたが、メタボリックとピロリ菌を指摘される以外は何も異常なしで、今回の帰国目的の前半をを再び神からの特別な恵みによって無事に終えました。

信仰の目が開かれた体験

写真 「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」 Ⅰコリント 3章6節

松江のルーテル教会で母がクリスチャンとして洗礼を受けようとしていた時、母は父に許しを得、兄と弟と兄弟三人そろって幼児洗礼を受けました。私が五才の時でした。 ただ私だけが赤ん坊の時から、中耳炎を患っていたため、毎週土曜になると汽車で片道三時間半かけて、松江にある耳鼻咽喉科に、母に連れられ診察に通い、一泊した翌日は教会の礼拝に母に従い仕方なく行っていました。 大人の中に混じって、じっとして居れない年頃ですから大変窮屈でそれが嫌で嫌でたまらなかった事を覚えています。

アメリカで生活するようになってからも、耳鼻科の医者にクリスチャンである事を話したところ、クイ―ズにある教会に行くように勧められ、最初はにわか信者でしたが、徐々に礼拝に参加するようになりました。 ところがアメリカでの永住権もすでに取ったにもかかわらず、10年目を迎えた時、初めて何の術もなく立ちふさがれた状況に追い詰められ、アメリカ生活を断念し日本に帰国を迫られてしまいました。

ところが日本へ帰ると、全く想像もしていなかった出来事に遭遇したのです。それはたまたま日本を旅行していた以前の社長(アメリカ人)と、島根の自分の故郷でバッタリ再会したのでした。 全く希望を失っていた私でしたが、この社長を通して再びアメリカに連れ戻されるという、初めて生きて働いて下さる神を体験したのでした。 それから信仰の目が開かれ、感謝を持ってイエス様に礼拝を捧げに行くようになったのです。 確かに教会に行く人は、説教中たとえ居眠りしていたとしても、教会に行かない人よりは時が満ちた時、神様は特別な恵みを持って我々に報いて下さるのです。

教会への明確な導き、いやしの奇跡

写真 「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」 イザヤ書43章 19節

2003年秋から、アメリカに住みつき17年以上礼拝を捧げていたクイーズの教会を去り、その後どの教会に礼拝に行こうかと探し求めていた折、まず目に入ったのが新聞の広告欄で見つけた主の十字架クリスチャンセンター(TLCCC)ニューヨーク教会でした。 他にも二つ候補の教会がありましたが、以前二つとも礼拝に参加した事がありましたので、まだ行ったことのないこの教会を選んだのです。

ところが一回二回と礼拝に参加したところ、牧師夫妻とI姉妹と私を含めて四人だけでした。 まさかと思いましたが、三回目もやはり四名で終わりました。 最初から視察を兼ねての礼拝でしたので、四回目は、「今日を最後にします。もしあなたがこの教会に留まれと言われるのでしたら、10人の方を礼拝に導いて下さい。」と真剣に祈り、礼拝に参加しました。 なんと驚いた事に、その日は、私を含めてちょうど10名方が礼拝に参加していました。 全く期待していなかったのに前の教会と同じ恵み、示しを受け、祈りに明確に答えて下さった事により、この教会で礼拝することにしました。 それ以降、ほとんど礼拝者が10人を満たさないということはありませんでした。

そしてそのうち、この教会で歌われるオリジナル賛美曲に心をとらわれるようになり、また驚くべき癒しの奇跡を体験しました。

それは、2004年11月、主の十字架クリスチャンセンター主催の、イスラエル派遣に初めて参加する一ヶ月前、大手術の後、植物状態となった、あるクリスチャンのご婦人を四回見舞に行った時のことです。四回行くつもりはなく、三回行った時点でもう大丈夫だと思い、それで終る予定でいました。 ところがイスラエル出発を前日に控え、日曜日の朝、私にとって一生忘れる事の出来ない夢を見て、驚きの中に目が覚めたのです。 それは、夢の中でイエス様と出会ったのです。 その興奮の余り、意識の返っていないご婦人をもう一度見舞に行こうと、そのご婦人の友達を誘ってICUに向かいました。そこでは、そのご婦人がしっかり目を開き、我々を意識して、癒されているのではないですか。

イエス様の恵みに応えて

写真 「人々が私に、さあ、主の家に行こう。と言ったとき、私は喜んだ。」 詩篇122 1節

さて、話は戻りますが、NY教会を支えてほしいという要請にどう答えて良いのか答えの出ない苛立ちと、また以前から望んでいた東京アンテオケ教会へ礼拝に行ける喜びがとが複雑に入り混じる中、2004年最初のイスラエル派遣の部屋割りで一緒になり不思議な関りが開かれた橋本牧師と2年半ぶりに東京アンテオケ教会のある高円寺駅で再会し、一緒に行きました。そして礼拝で、第2コリント12章 9,10節のメッセージが語られている時、初めて祈りに答えられたと言う、ある思いが上(聖霊様)から注がれました。 それは部屋を用いなさいという思いでした。 確かに私が今日までこのアメリカで生活できたのも、決して私が才能があり、英語が堪能であるのでもなく、全く逆で、私の弱さのうちに触れて下さったイエス様からの一方的な恵みによるものでした。 だからこれからは、イエス様に応え、主の十字架クリスチャンセンターに移ってからも変わらぬ愛を持って守って下さったイエス様の恵みに応えていこうではないかと気付いたのです。

自分にとって初めて、TLCCCニューヨーク教会を任され、東京アンテオケ教会の秋元牧師を迎えてNY聖会を終えた翌日、2008年9月15日、米証券4位の地位を誇っていたリーマンズ・ブラザーが倒産し、創立150年以上の歴史から跡形もなく消えました。 黙示録の時代に向かって、世界は思いがけないような厳しい状況に移って行くでしょう。 しかし、喜び、感謝しましょう。 主に救われ、天に国籍と永遠の命を授かった者達、彼(主)に信頼する者は、失望させられることがありません。

「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。」 エレミヤ書 17章 7~8節