大病の姉妹の癒しと回復

写真 礼拝の後、何人かの姉妹が集まっていやしの祈りをしておられる姿を見て、普通教会ではどこでも見られる光景ではありますが、ただ自分には、聖書の中に出てくるタラントの御言葉(マタイ25章14~29節)がいつも思い浮ぶのです。

以前集っていた教会ではいやしの祈りを教わっていました。 このタラントの たとえと共に、せっかく学んだから用いなさいとよく実際に祈りの中で用いていました。

御子によって、私たちに語られている御言葉は大人から子供まで非常にわかりやすく語られています。   しかしその御言葉一つ一つに神の愛が秘められている事を、見逃すわけには行かないと思います。

このたとえの中にも一タラントを預かった者は、主人(神様)は、「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい 方」だから怖くなり地の中に隠しておきましたと答えています。    しかし神様はその様な方でしょうか。  決してその様な方ではありません。

なぜなら「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほど、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持 つためである。」(ヨハネ 3章16節) 

タラントすなわち英語でタレントであり、賜物、才能、能力と言う意味で、この教会でもよく用いられています。    我々はすでに救われた者であり (「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」ローマ書10章10節)、その私達を神は一人一人にタレントを与えて下さっています。

この 賜物を一タラント受け取った者と同じ行動をしないで、神の愛に報いていくのが我々クリスチャンの義務と思います。  だからいやしの祈りをしておられる中に入って一緒に祈ろうではありませんか。

また伝道に、教会の奉仕のためにそれぞれの授かった賜物をフルに使いこなし、神のみこころを成して行く時、我々は「神は 大いなることを行って測り知れず、そのくすしいみわざは数えきれない。」(ヨブ記9章10節) 神の栄光を体験し、さらに信仰を増し加えて行けるのです。

自分はかって、思いを超えた神の愛に触れた事がありました。 それは2003年の秋、クイーンズにある教会から離れ、マンハッタンの小さなチャペルで 礼拝を守っている教団を新聞の広告で見つけ、当時インターネットで教会を紹介していたのは、非常にまれでしたが、その教団はインターネットを用いていた為にいくらか 理解を持って礼拝に参加する事が出来ました。 (後に、自分がこの教会の牧師として立てられるとは、だれが想像したでしょうか。)

それと自分にとって、非常に強い魅力が一つありました。 それはこの教団が毎年一年に一回イスラエル派遣と言う旅行を企画している事でした。 一年後、 自分もこの派遣に応募し、出発までちょうど一ヶ月前のある日、クイーンズの教会に集っている姉妹から、H姉が心臓の大手術をした為、これで終わりかもしれ ないので見舞いに来て欲しいとの要請でした。

その三日後、行くか行かまいか心の定まらない心境で礼拝を前に、エルム ハーストにあるH姉のICUを訪れました。  何と見てビックリした事に、手術して数日後な為、臓器が十分に機能していないのか、顔から体全身が真っ赤で、しかも風船を膨らませた様に膨れ上っているのではないですか。 何とか姉妹を元の元気な姿に返して下さい、という一心で姉妹に手を当てて主に祈りました。  そして 次の週も、どうしても気になっていましたので、同じように礼拝前に、姉妹を見舞いに行きました。

何とまた驚いた事に、その日の姉妹は臓器が機能を回復した為か、体全体の膨れも元の状態に治り、肌も正常に治っていました。 ただ意識が戻ればと、深い深い眠りの中を漂っている植物状態ではあるものの、一命は避けれたと言う思いを感じ、主に感謝しました。 そして次の週も、植物状態の姉妹を見舞い、後は意識が回復するのみと主に祈り、もう見舞う事もないでしょうと決めていました。

ところが次の週の日曜日、イスラエルへ出発を前日にして、それは自分自身にとって大変な夢によって目覚めました。  その夢とは『自分の前に髪の長く白い着物を着た方が、自分とは反対方向に向いて左腕か何かを枕にして床のうえで横になって寝て居られるのです。  誰かと思い、その側を 回ってその方の顔を見ると、眠っておられるのではなくハッキリと目が合った』 そのところで驚きと興奮の中に目が覚めたのでした。

まさにその目は、あの御言葉がピッタリの「わたしが道あり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネ14章6節の中にある真理そのものを現していた真実なる目、イエス様でした。  もうその後は大変、その興奮は覚めやらず、かねてからH姉の見舞いに行きたいと頼まれていたB姉を伴って病院にバーンと飛ばし姉妹の病室に着いて見ると、何とさらに驚いたことには、姉妹は眼を開いて我々をしかりと意識しているではないですか。

一昨日前、久しぶりにB姉妹から電話を頂き、H姉から手紙が届き非常に元気でおられるとの事でした。  H姉は手術当時、以前から糖尿病を患っておられました。  その合併症が原因で「心臓につながる血管が破裂した。」という説明で最初連絡を受けたのですが、それだけではなく、右足の付け根から切断する大手術でした。

その後リハビリ施設に移られたと言うので、再びB姉妹と訪問した時には、車椅子での生活ではあるものの、以前よりも元気な姿で回復され、今は日本で生活を送っておられます。

「真理と愛のうちに、
御父と御父の御子イエス・キリストから来る
恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。」
第二ヨハネの手紙1章3節

ダニエル浅野