足裏の痛みのいやし

下顎のこぶのいやし

写真 この秋に入ったある日、礼拝の後、みんなで感謝の祈りを終え、帰る間際、あるご婦人がいやしの祈りを求められ祈りました。

それは過去約2年近く、このご婦人の下顎の所に親指ほどに膨らんだこぶのいやしのために祈ってきたのですが、その時は、本人から「こんなにいやされたのですよ」と、その事をいつの間にか忘れてしまっている自分に、注意を引くかのように言ってこられました。 確かに、この夏のパトモス派遣に出かける前にいやしの祈りをした約2カ月前は、誰が見ても目に留まってしまうほどに腫れていた下顎のこぶが、見た目にはほぼ完全にいやされていたのでした。

私自身が体験したいやし

話は過去にさかのぼるのですが、私にも完全にいやされた体験がありました。いつの間にか痛みをまったく感じなくなり、不自由な状況から解放されたために、すっかりいやされたことを忘れ、今日までに至ってしまいました。  このご婦人のいやしを通して、神のいやしを実感した事をきっかけに、自分が忘れていたいやしの体験がよみがえってきたのでした。

私のために手を置いて祈ってくださった多くの皆さまと神さまに感謝の思いを込めて証ししたいと思います。 2009年春、願っていたマーリン子どもアメリカチーム(2011年から、感謝と賛美とリバイバルキャンプに名称変更)に参加する機会が与えられたころのことです。

右足裏の痛みに悩まされていた

当時、私は右の足裏全体に大変な痛みがあり、約1年近く悩まされていました。子どもの時から、足はかなり強く、自信があり、職場でも比較的に立って作業する機会が多いものの、まったく苦痛に感じませんでした。 しかし足を痛めたころは、立っている事さえも苦痛に感じ、耐え切れないため、暇な合間を見計らっては腰を下ろし、痛む足をいたわり、祈っていました。

それは2004年の事、作業中、邪魔なために、立てておいた大きなパレット(大きな機械を置くための木製の台)が誤って倒れ、右足のふくらはぎに直撃しました。その時は、痛みを感じなかったのですが、何と五寸釘より太目な釘がふくらはぎに深く刺さっていました。  それを足から取り除けた瞬間、傷口から勢いよく血が吹き出しました。すぐ同僚によって救急病院に運ばれ、30針以上縫う大けがでしたが、幸いなことに主の守りがあり、その釘は筋にまで至らず、守られたのでした。  翌年には、けがの傷はいやされ、再び以前のようににジョギングもできる ようになりましたが、冬になると、やはり傷痕周辺の筋が硬く張るのを感じていました。

いやしの祈りの中で、神さまが触れてくださった

2008年の春、暖かくなったのをきっかけに、再びグラウンドに行きジョギングを始めたところ、その傷口近くの筋を痛め、ついには右足の裏に強い痛みが走るようになってしまったのです。 この痛みからのいやしを求めて、マーリン子どもアメリカチームに参加しました。期待通り、夜の聖会の後、いやしの祈りの時が持たれました。 早速、足の痛みのいやしのために祈っていただいた時、最初、牧師の方々と信徒の方々6、7人が駆け付けて祈ってくださいました。 その時の事をはっきりと覚えていますが、大変熱のこもった祈りで、その祈りの中で神さまが触れてくださっているという深いご臨在を感じていました。 そして、祈りが終わって目を開けてみると、何と私を取り囲んで2重にも大きな人の輪ができており、こんなにたくさんの方々が私のいやしのために手を置いて祈ってくださったのだと驚くと同時に、胸の内に「絶対にいやされる。絶対にいやされる」と心の底から力強く湧き上がってくる感動と喜びに満たされていました。

その後、痛みを気にしなくなったからでしょうか、具体的にいついやされたのか、まったく思い出せないのですが、翌年の2月、東京アンテオケ教会主催の冬の白馬キャンプに参加した時は、スキーも楽しめるほどに完全に回復していました。

神さまが完全にいやしてくださいました。主をほめたたえます。

「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです」
マタイの福音書9章22節

ダニエル浅野