主は語り導かれるーニューヨークへ

写真 私は、ニュージャージー州のウエスト・ニューヨークという町に住んでいます。そこは、ハドソン川沿いで、向こう岸にはマンハッタンの摩天楼が一望できるところです。ここに住み始めてから、約2年半が経ちました。成り行きは、私は世に言う結婚適齢期はとうに過ぎていたのですが、ニューヨークに住む人と結婚となり、初めての海外生活となったのです。このことはまったく私の計画外、予想外のことでした。

2009年秋ごろ、聖書の御言葉、創世記12章1節から、 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」

と何度も迫るように語られ続けました。デボーションの箇所で読んでいて心に特別に響き、その頃のある日曜礼拝で、朝の礼拝、午後、夜の礼拝の牧師のメッセージ箇所が、すべて創世記12章からで、その度に、また語られたと、ドキッとしていました。

私は東京で生まれ育ち、一度も両親の元を離れたことがなかったのですが、この御言葉から、「どこかに遣わされるのだろうか。」と思いました。しかし、まったく心当たりがありませんでした。「あなたが遣わされるなら、御心の形で両親の元を離れることができますように。あなたが示す地はどこでしょうか。」と祈っていました。

そして、2010年1月早々、結婚の話が降ってわいたように出たのです。相手は、アメリカに住む同じ教会の群れの方。このいきさつは、はしょりますが、主が備えてくださった結婚相手であると確認しました。両親は、娘の幸せイコール結婚を望んでいたので、私が海外に行ってしまうことにはだいぶ躊躇はあっても喜んでくれました。同時に、宣教師として使命をもってニューヨークに遣わさることになったのです。もし独身のままで宣教師として遣わされたら、まだクリスチャンでなかった両親には大変な心労をかけてしまうことになったでしょう。みこころの形で両親の元を離れることについての祈りは、このように神様がご配慮をもって最善の形で答えてくださいました。

そして、結婚式は私の所属する東京アンテオケ教会の秋元牧師に司式をして頂きたくお願いしたのですが、ご多忙で、この日なら空いているという日が、約2か月後だったのです。世に言うスピード結婚よりもすばやくなってしまい、焦り、何から手をつけていいのか分からない中、まず祈るだけでした。私の教会では、その頃、冠婚葬祭部が発足されており、当日の衣装の支度にいたるまで様々な面で多くの兄弟姉妹に助けていただきました。結婚式には、ほとんどがノンクリスチャンの両家の親族が集い、賛美があり、牧師さんより天国がいかに現実であるかというメッセージがあり、最後に新郎から、福音が語られ、イエス様を信じ受け入れる招きの祈りまで導かれました。この結婚式をだれよりも喜んでくれたのは母でした。「温かい手作りの結婚式だった。」と言ってくれました。

結婚式から1週間後には主人についてニューヨークへ渡りました。アメリカに住むようになるとは夢にも思っていませんでしたが、神様が聖書の御言葉をもって語ってくださったことの真実と、主の導きの確かさを見させていただきました。主を心からほめたたえます。主の恵みに感謝しています。

2012年9月
浅野直子