問題の解決

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苦しみに会ったことは私にとって幸いでした
(うつ病で苦しんでいる方)

 

傷付いた心を抱えて東京へ

私は新潟で生まれ、その後父の転勤で横浜に移り住みました。そこでの生活は非常に楽しかった思い出があります。しかし、小学4年生の時、父が今まで 勤めていた会社を辞めて、父の実家で祖父母と同居することになり、三重に引っ越しました。そこでは、祖父母と母の関係がうまくいかず、家の中はいつもおか しな雰囲気で、私は早く大人になってここから出て行きたいと思っていました。さらに高校に進んでからは、人間関係で悩み、学校に行けなくなってしまった時 期があり、ますますここから出て行きたいという思いは強くなりました。何をして生きていったらいいのかと考えるようになり、心は大変傷付いていました。そ こで私は、親の反対を押し切って東京の大学を受験し、上京したのです。

 

イエス様との出会い

大学生活は表面的には楽しかったのですが、私の心の傷がいやされることはありませんでした。そんな時、大学の同じクラブの一つ上の先輩とお付き合い することになったのです。それが今の主人です。彼は自分がクリスチャンで教会に行っていると話してくれました。さらに、彼が抱えていた問題をイエス様が解 決して下さったということを聞き、この神様なら私の心の傷の問題も解決してくれるのかもしれないと思うようになったのです
しばらくして、彼に誘われて教会の礼拝に出席するようになり、教会でなされていた賛美やメッセージに触れられ、私はイエス・キリストを救い主として信じ救 われました。私の心の傷をいやして下さるのはこの方だということもはっきりわかり、非常に大きな喜びで満たされていきました。

 

所属すべき教会はどこですか

教会に行き始めた頃、私たちは彼の母教会であるペンテコステ系の教会と、主の十字架クリスチャンセンターキリストの町教会(現・東京アンテオケ教 会)の2つの教会を行き来していました。彼は自分の抱えていた問題の解決を求めて主の十字架クリスチャンセンターに導かれ、解決が与えられたのです。しか し、それにもかかわらず、「主の十字架の教会に所属してしまったら、自分は神様に献身を導かれるに違いないから。」と言って、主の十字架の教会に行くこと から逃げてばかりでした。
私の方は、深い賛美の恵みや、賜物の働きが顕著に現され、行くたびに生きた神様の証しを聞くことができた主の十字架の教会に行きたいと思っていたのですが。
救われているのにどこの教会にも所属できない中途半端な状態がしばらく続きましたが、このままの状態をもうこれ以上続けられないということで、どこの教会 に所属すべきか、私たちは神様に真剣に真剣に祈りました。そうしましたら、ふたりとも、「主の十字架クリスチャンセンターキリストの町教会(現・東京アン テオケ教会)」という神様からの明確な語りかけを祈りの中で受けたのです。その語りかけを受けて彼の方もようやく決心がついたようで、私たちはついに正式 に主の十字架クリスチャンセンターキリストの町教会(現・東京アンテオケ教会)に所属することになり、1996年8月、私は洗礼を受けることができました。

 

献身、そして結婚

その後、教会で語られた知恵・知識のことばを通して、「主に祈り聞き従う中であなたの傷をいやします。」という語りかけを受けました。私はしっかり と教会に属し、奉仕をさせていただく中で、また、信仰生活の一つひとつのことを通して神様に祈り聞き従い、神様を体験していく中で心の傷がいやされていき ました。神様のために生きれる、神様のために働かせていただくことができることが、私には嬉しくてたまりませんでした。そして、私と彼は献身へと導かれて いきました。
1999年11月、教会から遣わされたイスラエルチームに参加させていただいた時、彼との結婚が明確に示され、翌年2000年2月に結婚が導かれました。これからは二人で神様に仕えていくことができるという喜びで私はいっぱいでした。

 

うつ病に

結婚した当初、主人は早く子供が欲しいと思っていたようですが、私はまだ二人の時間を楽しみたいし、今の生活で精一杯だから、少し落ち着いてきてか ら子供のことは考えたいと思っていました。そして少し時がたって、私の方もそろそろ子供のことを真剣に考えていきたいと思い始めていた頃、突然ある問題が 起こり、その事をきっかけに私は心の病にかかってしまったのです。
病院で私はうつ病と診断されました。そこから教会で病のためにいやしの祈りをしてもらいつつ、病院に通って治療を受ける生活が始まりました。起こってし まった問題の大きさと、許された病のゆえに、今まで語られてきた神様の約束のことばや、召しのことがもう成就するのが不可能なのではないかと私には思われ ました。そして、欲しいと思い始めていた子供も、もう無理なのではないかと思われたのです。もちろんうつ病を克服している方はたくさんいますが、その時の 自分の状況を見るとどうしてもそう思えてならなかったのです。私は、悲しみと大きな絶望感の中にありました。

 

御言葉を握って

しかし、病気になってしばらくして、家で一人で力なく聖書を読んでいたときのことです。通読箇所を読んでいると一つの御言葉が心にとまりました。そ れは、マタイの福音書2章20節、「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。」ということばでした。私たち夫婦には、海外宣教の召し が神様から語られており、その中でも特にイスラエルに重荷が与えられています。なので、この御言葉を読んだ時、「神様が、召しの国に私たちを遣わされる 時、子供が与えられて家族で遣わすと言っておられるんじゃないか。」という思いが与えられたのです。私はこの御言葉を握りました。
この御言葉が与えられてからすぐに、病院でカウンセリングを担当して下さっていた先生に、「子供が欲しいんです。」ということを話しました。ところが先生からは、私が期待していたのとは全く違う答えが返ってきたのです。
「妹さんの子供をかわいがればいいじゃない?子供なんて手がかかるだけだよ。第一、今産んであなたは育てていけるの?」
私のことを心配して言ってくれているのはわかりましたし、先生の言葉はその通りだと思わされました。その時の私はたくさんの薬を飲んでいましたし、もとも と得意でなかった家事全般をすることに非常なストレスを感じるようになっており、家のことが何もできない状態にあったのです。子供を産んでも育てていくこ とは無理だと自分でも思いました。やっぱり子供が欲しいなんて考えてはいけないのかなと悲しくなりましたが、「神様が語られているなら、この御言葉を握り たい、握らせて下さい。」と神様に祈ったのです。

 

イスラエルで受けた約束の言葉

2005年11月、私たち夫婦は神様に語られて教会から遣わされるイスラエルチームに参加しました。行く先々でもたれる礼拝の中に神様の深いご臨在 が現され、非常に祝福を受けました。その中で、アルベル山という、イエス様が弟子たちに大宣教命令を語られたという山での礼拝の時のことです。賛美をして いる時、今までにない強い臨在を感じ、まさに主が今ここにともにいて下さるということを強く体験しました。その後、黙想の時が持たれ、開いた聖書の通読箇 所が、マタイ2章20節のことばだったのです。非常に強い臨在の中で語られたので、今度は確かに神様が語っておられると確信して、この御言葉をしっかりと 握ることができました。
さらに2006年3月、今度はアメリカチームに夫婦で行くように語りかけを受け、参加させていただきました。ある場所でチームで礼拝を持ち、賛美の深いご 臨在の後、黙想の時が持たれました。私は神様に、「今、神様が私に与えて下さる約束の言葉は何ですか?」と祈りながら聖書の通読箇所を読んでいました。す ると、ローマ人への手紙9章9節、「約束のみことばはこうです。『私は来年の今ごろ来ます。』」という御言葉が明確に与えられたのです。ここはアブラハム とサラに来年子供が生まれると神様が語られた箇所ですが、この言葉を通して、来年の今ごろ子供が与えられているのではないだろうか? という思いが与えら れたのです。私はこの言葉をしっかりと握りました。
すぐに状況が変わった訳ではありませんでしたが、その年の終わりになって、病気の状態が驚くほど良くなっていったのです。その頃主人の方にも子供が与えら れるという示しが与えられました。そしてそれまで5年間、増えはしても減ることのなかったうつ病の薬が初めて減ったのです。
私たち夫婦は主治医の先生に、「子供が欲しいんです。」と話しました。すると先生が、「病状がとても良くなっているので、その方向でがんばっていきましょう。」と言って下さいました。

 

神様の言葉は真実
―娘を出産、病のいやしと回復

年が明けてすぐ、体調がすぐれず、自分の休みの日に病院に行こうと思っていました。病院に行く日の朝、教会のデボーションの聖書の箇所を開きました ら、それがローマ9章で、9節の「私は来年の今ごろ来ます。」と約束の言葉が再び語られました。「もしかしたら。」と思って病院に行きましたら、その時子 供が与えられたということがわかったのです。
2007年9月、私は無事に娘を出産しました。娘は元気に育っています。また、できなくなっていた家事もできるようになり、主人も驚くほどのいやしと回復も受けています。私たちは今、主にある喜びで本当に満たされているのです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 詩篇119篇71節
病気や問題が許されましたが、その中で神様の深い愛と神様の言葉がいかに真実であるかを、私は知ることができました。召しのことばの成就はまだこれ からですが、不可能と思えるところから神様が子供を与えて下さり、ことばを成就して下さったように、主の時に成就することを信じています。
すべての栄光を神様にお帰しします。

 

エルサレム藤井文
(月刊「雲の間にある虹」2009年8月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)

夫のリストラに感謝!
(仕事がないことでお悩みの方)

 

イエスさまとの出会い、夫との出会い

私はミッションスクールの高校に入学して初めて『イエス様が真の神であり、この方を通してのみ天国に行ける』ことを知りましたが、その頃はそれが自分の人生に関わる大切なことだとは思っていませんでした。
  しかし社会人となってからは、何をしても虚しくて生きていく希望も無くなりかけた頃、三浦綾子さんの本を読んだことをきっかけに、クリスチャンになりた いと思うようになりました。その頃夫と出会ったのですが、思い切って彼にそのことを話すと、一笑に付されると思いきや、長く同居していた叔父さんが熱心な クリスチャンで、よく自宅で集会をしていたのを見ていたと言って、私がクリスチャンになることに賛成してくれたのです。しかし私は教会に行くこともなく、 ただ心の中でイエス様を信じているだけで、生活は荒れ果てていました。そしてとうとうアルコール依存症のような状態になってしまったのです。このままでは クリスチャンになれるどころか、身も心もぼろぼろになってしまうと思い、その生活から脱出すべく渡米を決意しました。
  渡米してから生活は一変しました。教会に通うようになり、心身ともに健やかになってきたのです。そして2年後に帰国してすぐに、忍耐して待っていてくれた夫と1983年10月に結婚しました。

 

出産、子育ての中で

出産するまでは教会に通っていましたが、子育てに追われ心に余裕がなく、いつの間にか教会から離れてしまいました。夫は仕事一筋で日曜日の休みも なく、朝早くから夜遅くまで働いていました。私がもっと家族と過ごす時間を作って欲しいと願っても、夫は聞く耳を持ちませんでした。私は一人で年子の子ど も二人の世話をすることに疲れ果ててしまい、夫に対する不平不満で心が一杯になり、夫と結婚したことを後悔する毎日でした。私は自己憐憫(れんびん)に浸 り、夫を始め周りの人達を責めはしても、感謝することはしていませんでした。

 

再び教会へ

私の心が人に対する憎しみで一杯になっていた或る日、私の不注意で長女の手に大火傷を負わせてしまったのです。娘が植皮手術を受けなければならな いと医者から告げられた時、目の前が真っ暗になり、子どもを道連れに死のうとさえ思いました。思わず心の中で「神様、助けてください。」と叫んでいまし た。すると、病院の近くに、結婚後しばらく通っていた教会があることに気づき、すぐにその教会に行って、牧師さんと話をしていく中で、やはり私が居るべき 所はイエス様のところだと気付かされ、子ども達と共に教会につながり始めました。
  それからしばらくして、チョー・ヨンギ牧師の本を通して、罪の悔い改めと赦しが導かれ、私は憎しみから解放されて、晴れて1990年の12月に受洗し、 名実共にクリスチャンになることができました。その時私は人生の目標を達成したと思っていましたが、「神の御思いは私の思いよりはるかに高い」ことを後に なって知ることになりました。

 

変えられた父への思い

その頃私は脳梗塞で闘病生活を送っていた父の看病のため、週末には長崎に行っていたので、日曜日は長崎で礼拝を守っていましたが、父の病気のいやしを願い、また信仰的に渇きを覚えていた私は、いやしなどの聖霊の働きが現れている教会に行きたいと思うようになりました。
  また確かに父のいやしを願ってはいましたが、それ以上に父も天国に行って欲しいという強い願いが私の内側に湧いてきました。今私はクリスチャンになって 初めて、それも「すべての事を感謝すること」を学び始めてから、周りの人を心から愛せるようになったように思います。しかし、私は、よく泥酔して怒鳴り散 らす父に対する恐怖心や嫌悪感があり、それまで父にはあまり愛情を感じたことが無かったので、私がそのような願いを持つことなど考えられないことでした。 私は罪を悔い改め、赦し、そして感謝をすることを通して、主が私の内側を作り変えてくださったのだと思います。

 

父の救い、家族親族の救い

父がイエス様を信じるように祈り始めた矢先、突然父がリハビリで入院中の病院で敗血症にかかり危篤状態になってしまったのです。医者は父の命はあ と2~3日と宣告しましたが、私は父に福音を語っていなかったことを悔い改めて、「父が救われるまで生かしてください!」と必死で主に祈り求めました。主 は私の祈りを聞いてくださり、父は奇跡的に回復したのです。
  私は主が与えてくださった時間を無駄には出来ないと思い、その頃通い始めたばかりの、現在属している群の教会の牧師さんにお願いして、入院中の父の所に 来て話をしていただきました。程なく父はイエス様を自分の救い主と信じ救われ、毎週牧師さんが父の病室に来てくださり、主を礼拝する時を持つ中で、父は病 床洗礼を受けて数カ月後に天に召されました。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16章31節)このみことばの約束通り、神様は父を救ってくださったばかりでなく、同時に私の姉夫婦や妹にも救いを与えて下さいました。
  義兄の救いは劇的でした。姉がイエス様を信じて約2週間後、義兄は自分の舟で釣りに出かけた後遭難し、大しけの海を一昼夜漂流して、海上保安庁から絶望 視されている中、奇跡的に助かったのです。姉は一晩中神に祈り続け、義兄も「神様助けてください!」と叫び続けたそうです。義兄はその後教会に行き救いを 受け、夫婦揃って教会につながり、現在は牧師としての働きを担っています。

 

「その約束を果たしなさい」

1992年2月に佐世保教会がスタートしてから、主の恵みによって私の信仰生活は強められていきましたが、私の夫はと言うと、イエス様を信じ救わ れましたが、仕事を理由に、ほとんど礼拝に出ることはありませんでした。私は夫が救われただけでもいいと思っていましたが、神様の御旨(みむね)は違って いました。神様は直接夫に御手を伸ばしておられたのです。
  ある時、彼の出身地の高校の野球部が初めて夏の高校野球の地区予選の決勝に進出した試合を観戦している時に、夫は神様に「彼らを甲子園に行かせてくださ い。もし勝たせてくださるなら私は洗礼を受けます。」と祈りの中で誓ったそうです。するとそのチームは勝って甲子園に行くことになったのですが、夫は神様 との約束を果たすことなく時は過ぎて行きました。
  或る日夫が出勤する時に、私が何気なく渡した東京の教会の礼拝テープを車の中で聴いていると、礼拝の最後の方で、牧師が「あなたは確かにわたしに誓っ た。その約束を果たしなさい。と主は言われます。」と知恵、知識のことばを語られたそうです。夫はそれを聴いて、主が自分に語っておられるということを直 感し、受洗に至ったのでした。

 

リストラに「ハレルヤ!」

しかしそれでも夫は相変わらず仕事第一の生活を続けていました。そのような状況の中で、1998年の年頭に聖書を読んでいる時、主は私に「時が来 ました。」と語ってくださったのです。しかし特別なことが起こるでもなく月日は流れ、あと2カ月程でその年も終わろうとする頃、私は牧師さんの勧めで始 まった家庭祈祷会で、今の会社に勤めている限り日曜日には休めないことなど、夫の現状を感謝し、夫が日曜礼拝に出席できるようになるようにと毎回祈ってい ました。
  一カ月程経った或る日のこと、電話が鳴ったので出てみると、夫からの電話でした。
  夫は何か改まった口調で切り出しました。「今度支店が縮小されるので、会社を辞める事になった。」と言うではありませんか。私は心の中で “来た!”と叫んでいました。そして思わず「ハレルヤ!」という言葉が口をついて出て来たのです。
  突然のリストラで、私が泣き叫ぶか、自分を責め立てるかのどちらかだろうと予測していた夫は、自分の耳を疑い、そして一瞬、私の頭が変になったと思った そうです。確かに、自分の夫が20年近く勤めて来た会社からリストラされて、喜ぶ人はいないと思いますが、私は夫がクリスチャンとして最も大切な礼拝出席 が出来るようになるようにと、主に祈っていましたので、祈りを聞いてくださった神様が、夫の人生に最善をなしてくださったと主に本当に感謝しました。夫が 失業するという困難のただ中でも、私の心は不思議なくらい平安だったのです。
  そこから夫婦で “主を第一とし主に拠り頼む”人生が始まりました。その年の2月のマーリン・アメリカチームには夫婦で、3月の子どもアメリカチームには家族4人で参加す る恵みに預かることが出来ました。かつて、子どもチームに夫を除く家族3人で参加しようと信仰で申し込んだことがありましたが、その時は実現しませんでし た。しかし神様は最善の時に、最善の形でアメリカチームに参加させてくださったのです。主は本当に憐れみ深く真実なお方です。

 

夫の献身、叔父のとりなし

ある時、夫が神学生になったことを知ったクリスチャンの叔父が、突然私たちの教会を訪れたことがありました。自分の甥がどんな教会に属しているの か心配で様子を見に来たようでした。叔父が「安心した。私は牧師になりたくてもなれなかったが、あなたにすべてを託すからね。」と明るく笑って言っていた のを私は覚えています。その後、叔父は病に倒れ、しばらくして天に帰って行きました。
  夫は2002年5月6日に按手を受け牧師として立たせていただきましたが、叔父が夫のために天でとりなしてくれていると私は信じています。
  日々色々な形で訓練や学びがありますが、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として くださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)というこの御言葉の真実を今私たち夫婦は体験させて頂いています。
  夫は半年程前、リストラされた会社からオファーを受け、牧師という立場を優先する形で、その会社で再び働くようになったのです。神様のなさることは計り知れません。どんな困難や問題も、私たちのために益としてくださる恵み深く、憐れみ深い主に心から感謝します。

 

山田真喜子
(月刊「雲の間にある虹」2008年5月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)

新しい者へと造り変えられた
(自殺を考えている方)

 

ギャンブルや酒、たばこが若い頃から大好きで、それ無しの生活は考えられない者でした。救われてからもたびたび神さまから離れてしまった私を、神さまはあわれみと恵みによって、まったく新しく造り変えて下さいました。
  私は、今から約14年前にイエスさまを信じ、救われ、1998年1月1日に洗礼を受けました。
  キリスト教というなら外国の宗教であり、自分には関係のないものとずっとそう思って生きて来ていましたが、先に妻が救われ、妻の勧めによって、教会に行くようになりました。その頃は、夫婦仲も悪く、家庭もぼろぼろで、いつ離婚してもおかしくない状態でした。
  私は、ギャンブルや酒、たばこが若いころから大好きで、中学のころからシンナー等をやっていて、高校の時には毎晩お酒を飲んでいました。だからギャンブ ル、お酒、たばこのない生活は考えられない者でした。教会に行く中でギャンブルや酒やたばこ等は、やってはいけないという事を知りました。心のどこかで は、いつかは止めなければならないという、そのような気持ちがあったのですが、現実にはなかなか止められませんでした。
  人生面においてもそうなのですが、私は無知のゆえに、神さまにケンカを売っていたのかもしれません。御言葉に神を試みてはならないという箇所があります が、私はバリバリ神さまを試していたような気がします。「この俺を変えられるものなら変えてみろ」とその当時は思っていました。今、思えば何と愚かな事を したと思っています。

 

神様から離れて、増える負債に苦しむ日々

その後、献身に導かれ、神学校で学び始めましたが、まだまだ心が定まらず、たばこ、酒を止められず、ギャンブルもしていました。また、仕事を優先 していて、後では、神学校は名前ばかりで通わなくなり、日曜礼拝も行ったり行かなかったりとなり、神さまから心が離れてしまいました。神さまから離れてし まっていたがゆえに、仕事面においても、家庭面においても、悪い方へと進んで行ってしまいました。その当時は自分で建設業をしていました。仕事もうまく行 かず負債が増えるばかりでした。
  おまけに、パチンコが好きで勝っても負けても毎日のように通っていました。そうするうちに負債が増え、返済ができなくなり、そして、ヤミ金まで手を出し てしまい、きびしい取り立てを受けるようになりました。やくざからの取り立ての電話がかかるようになり、日々おびえて生活をするようになりました。自分で はどうする事もできず、警察に相談に行った事もあります。この時の自分はまったくといってよいほど信仰がなく、祈ったり感謝したりする事がなかったので す。神さまに祈り求める事すらできないで、ただ、自分の考えで行動をとっていました。このような状況は妻も知りませんでした。いよいよもうどうする事もで きない状況になりましたが、神様に頼るより、お酒に逃げていました。

 

自殺を図るも…「わたしの所に来なさい」

そんな中、もう死にたいという思いが来て、死のうと思いました。自分が死ねば保険金が入りそして保険金で借金が返せる、家族には迷惑かけずに済む と思ったのでした。釣りが好きだったので、川でおぼれて死んだ事にしようと思って、川に行きました。ウィスキーをがぶ飲みし、川に飛び込もうとして足がす くみましたが、思いっきり飛び込みました。そこは滝になっていて渦(うず)をまいていました。もう死ぬんだなーと思いましたが、気づいた時にはその渦(う ず)をすり抜けて下流の方に流されて、何十メートル流されたでしょうか? 気がつけば足が届くところにいました。もう1度飛び込み直そうとしましたが、そ の時、「わたしの所に来なさい」という声が聞こえました。その声で自殺する事を止めました。今思うと、その声は神さまの声だったと思います。そして、気が つけば神さまに感謝の祈りを捧げていました。神さまが触れて下さったのです。その時、自分は何をしているんだろうと思いました。そして、今度は逆に、死に たいから「生きたい」という気持ちになりました。
  それから妻に借金の事を打ち明けました。全ての事を言って全ての事を神さまにゆだねようと思いました。妻の反応は意外と冷静で、ここ2、3日私の様子が おかしい事に気づいていて、自殺未遂を起こした日においては、私の為に祈る事が導かれていて、とりなしの祈りをしていた事を聞きました。それから夫婦で感 謝の祈りをしました。自己破産はしたくはなかったのですが、自己破産をしました。でもそのおかげでカードも使えなくなりお金も借りられない状態になり、神 さまに感謝しました。
  今、思えばこの自殺未遂があったからこそ、神さまのあわれみや恵みを知り、本当に神さまはおられるんだなという事を実感しました。自殺未遂によって、神さまの愛を知り、ギャンブルを完全に止める事ができました。
  「すべてのことについて感謝しなさい。」「すべての事を働かせて益としてくださる」という神の言葉がありますが、本当にその通りです。その事があって心を入れかえて再び献身の道を選び、もう1度神学校に入りました。

 

お酒を完全に止められた

お酒は、15歳ごろから飲んでいました。かつてはお酒を飲んで車の運転もしていて、2回ほど酒気帯び運転で捕まっています。酒ぐせは、すごく悪かったのです。クリスチャンになってからも毎晩、お酒を飲んでいました。
  ある時、酒に酔っていて娘を叱り、娘の頭を殴ってしまいました。その時、神さまの守りで娘の頭はどうもなくて、自分の手は骨折しました。しばらくは、仕 事ができず、その時、神さまから深い悔い改めが導かれました。娘を殴ってしまった事を悔い改め、今まで酒で犯してきた罪、いろんな事が思い起こされ、神さ まの前に出て真実な悔い改めをしました。また、本気で酒を止められるようにと神さまに祈りました。
  次の日から、30年間飲み続けてきたお酒を、完全に止める事が出来ました。神さまの御名をほめたたえます。お酒を止めて6年が経ちました。会社の飲み会に参加しても、ぜんぜんお酒をほしいとも思わず、はっきりと自分はお酒は飲めない事を伝えています。

 

「主は待っておられる」

神学校に戻り、最初の数年間は調子良く行っていましたが、それでも献身しきれていない自分がいました。再び仕事を取ってしまい、神学校、礼拝をよ く休むようになりました。堕落して神から離れて行く自分がいました。そして御心を行わないがゆえに再び、仕事においても全ての事においてもまた、行きづま りました。
  ああもうだめだと思っていた時に神さまから語りかけがありました。耳元で「主のもとへ行こう、主は待っておられる」(*)という賛美が耳から離れず、特 に「主は待っておられる」というところが耳から離れません。ここは選びの時ではないかと思い、そこで本気になって心を定めました。すると悔い改めが導か れ、今までの事を本気で悔い改めて本気で感謝して祈りました。神さまは、この時から私自身を大きく変え始められたのです。
(*編集部注:「主のもとへ行こう」、雲の間にある虹出版より発行の「やすらぎの歌」ゴスペル第6集に所収)

 

たばこからの解放

次にたばこです。たばこだけは絶対止められないと思っていました。何度も止めようとがんばりましたが、最高3日が限界でした。いつかは止めないと いけないと思っていましたが、なかなか止める事ができませんでした。教会で行われる聖会、行事、キャンプなどの時は、隠れてたばこを吸っていましたが、匂 いで、周りには分かっていたと思います。
  ある日、教会の牧師より、もうそろそろ、本気になって止めた方がいいと言われました。神さまを選ぶか? たばこを選ぶか? 自分にとっては選択の時でし た。本気で神さまに祈りました。「苦しまずにたばこを止める事ができるように」と。1日目…2日目…3日日ぐらいから苦しくなりましたが、神さまに感謝し ました。とにかく心を定めて神さまに感謝し続けました。そして……ハレルヤ!!主の御名をほめたたえます。完全にたばこを止める事ができました。2009 年9月から止めて1年が過ぎました。

 

新しい者へと造り変えて下さった

長い年月の中でいろんな事がありました。私が神さまから心が離れて教会に行ったり行かなかったりを繰り返している時も、妻は教会に行き続け、つながり続けました。その中で教会の恵みを受けました。
  最近、妻との会話が増え、神さまの事を話せて、夫婦でいる時がとても楽しいです。一番嬉しい事は、夫婦で祈れる事です。賛美隊として立って毎週日曜日路 上ライブをしている事です。神さまの働きに立っている事が私たち夫婦にとって最高の歩みと思えるようになりました。そのような夫婦に神さまは、変えて下さ いました。
  親子の間も回復が与えられ、父親として、子どもが悪い事をした時、本気で愛をもって叱る事ができるようになりました。子どもの話を真剣に聞いてあげられるように変えられました。すべて神さまが変えて下さいました。
  神は真実なお方であられます。そして御心の祈りを聞いて下さって全く新しい者へと造り変えて下さいました。私は身をもって神のあわれみ、恵み、神の愛を受けました。
  2010年10月25日、神さまのあわれみ、恵みによって人吉教会の牧師としての按手を受けました。自分自身、まさか牧師になるとは思っていなかったので、驚いています。
  神さまに心から感謝します。すべての栄光を神さまにお返しします。

 

ダビデ村上(熊本県熊本市)
(月刊「雲の間にある虹」2010年12月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)

孤独と憎しみからの解放と家族の回復
(親子関係でお悩みの方)

 

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒の働き16章31節
この御言葉が私を支えました。
イエス様からの多くの恵みと祝福を心から感謝致します。イエス様の大きな愛によって、私は解放されてきました。私のうちにあった、憎しみも、悲しみも、苦しみも、孤独も、すべての事柄から解放されました。

 

生い立ち

私は熊本市で生まれ育ちました。父は左官業を営み、母は専業主婦でした。母は知的障害と共に、統合失調症を患(わずら)っています。私の上に姉 がいたのですが、私が生まれる前に幼くして亡くなっていました。両親は小さな娘を失ったため、私が生まれてくる事をとても待ち望んだそうです。
私に小さい頃の記憶があるのが三歳前ぐらいからですが、もうその頃には、父と母は別居状態でした。父は、毎日朝 と夕方だけ、ほんの一時顔を見せます。父の居ない夜にとても寂しくなり、いつも大声で泣いて、父を呼んでいました。しかし、父は夜、帰って来てくれる事は ありませんでした。いつも家に居てくれる父が欲しかったのを覚えています。
この頃の日中の母は、私に対して何かしら気に入らないと、虐待をするのでした。叩いて、私の頭の髪の毛をわしづかみにして8畳の部屋をすごい勢いで引きずり回すのでした。
怖くて、痛くて、とても辛くて、腹の底から大声で泣き叫んでいました。
それは頻繁(ひんぱん)でした。母からの虐待に気づいた父は、見るに見かね、父の姉に、一緒に住んで私の面倒を 見てくれるように頼んでくれました。それで伯母と母と私の同居が始まりました。伯母は、その頃交通事故の後遺症で、2、3年程床に伏しがちでしたが、それ でも母の虐待から体を張って守ってくれていました。
母は病気のせいもあってか、気性が非常に激しく、家の中で暴れる他に近所に住む私の友達のお母さんにも暴力をふ るったりした事もありました。大暴れする事が数年続き、周りもどうしようもなくなり、結局、母は精神科の病院へ十数年長期入院する運びとなりました。私は こんな母がとても憎く、母の存在を受け取れませんでした。父の存在も、同じ思いでした。父は母と離婚しないにしても、身勝手で、別の女性と暮らしていまし た。そんな父も赦せませんでした。また、父はたくさんの借金をつくって、家族親族にも迷惑をかけました。
普通の両親がほしくて、私の心の中は「どうしてこんな両親の間に生まれて来たのか? 神様は不公平だ。」と呪 い、嘆いていました。幸せそうな友達などの家庭を見ては、羨んでいた自分がいました。しっかりとした両親の間で、愛されて育ちたいという思いが強く、願望 としてありました。小さい頃は両親の事で友達に馬鹿にされる事もありました。入学式に卒業式、授業参観はいつも伯母が来てくれるのですが、幼い私は、周り と比べてしまい、寂しい気持ちでした。
伯母は、母親代わりに色々とやってくれて愛情を注いでくれました。しかし、両親からの愛情を求めていたので、愛 に飢え渇いていました。一人っ子で育ちましたが、死んだ姉が生きていれば、すべてを共有出来て、私の生活も心も変わっていたのではないかと思った時もあり ました。兄弟がほしいと感じたこともありました。私の心の中は満たされず、虚しさがあり、いつも“孤独”でした。

 

心からの願い

そんな家庭環境に置かれた私は、神様と呼ばれるもの、場所、すべてに敏感で、近くでも遠く離れていても「神様。どうか、父が家に帰って来て、一 緒に暮らしてくれますように。母の病気が治りますように。両親が仲良く、親子三人が一緒に暮らせるようにして下さい。」と心からいつも求めていました。

 

イエス・キリストとの出会い

高校を卒業後、父の借金に追われる事となり、一般事務の仕事に就き、伯母とも別れ、自立しました。
しかし、二十二歳の時には、世の楽しみにより、二百万〜三百万円程の借金が私にも出来ていました。残ったのは借 金で、心の虚しさは拡がりました。(借金は数年間で完済できました。)心の奥底にある満たされない思いによって、押しつぶされそうでした。死にたい、楽に なりたいという思いで、ある時近くにある教会堂に行き、ひとりで
「神様 助けてください」
とすがる思いでお祈りをしました。
その時、とても気持ちがスーッとして、楽になりました。
それから半年後、勤めていた職場にクリスチャンの女性が新入社員として入社されました。その方からイエス・キリストの十字架による救いを聞き、本物の神様を知りました。
それからしばらくして、ある朝、目覚めた時に突然イエスさまの十字架がわかりました。父なる真の神様はひとり息 子のイエスさまを十字架に架けて死に渡されるほどまでに、私を愛して下さっている。私は命がけで愛されている。神様の大きな愛が霊の内にわかり、感動しま した。福音を聞いて、半年後、イエス・キリストを信じる受け入れのお祈りをしました。私の胸のところにあったぽっかりとした空洞は、そのお祈りで、一瞬の うちに埋まり、“孤独”から解放されました。高校を卒業後、父の借金に追われる事となり、一般事務の仕事に就き、伯母とも別れ、自立しました。
しかし、二十二歳の時には、世の楽しみにより、二百万〜三百万円程の借金が私にも出来ていました。残ったのは借 金で、心の虚しさは拡がりました。(借金は数年間で完済できました。)心の奥底にある満たされない思いによって、押しつぶされそうでした。死にたい、楽に なりたいという思いで、ある時近くにある教会堂に行き、ひとりで
「神様 助けてください」
とすがる思いでお祈りをしました。
その時、とても気持ちがスーッとして、楽になりました。
それから半年後、勤めていた職場にクリスチャンの女性が新入社員として入社されました。その方からイエス・キリストの十字架による救いを聞き、本物の神様を知りました。
それからしばらくして、ある朝、目覚めた時に突然イエスさまの十字架がわかりました。父なる真の神様はひとり息 子のイエスさまを十字架に架けて死に渡されるほどまでに、私を愛して下さっている。私は命がけで愛されている。神様の大きな愛が霊の内にわかり、感動しま した。福音を聞いて、半年後、イエス・キリストを信じる受け入れのお祈りをしました。私の胸のところにあったぽっかりとした空洞は、そのお祈りで、一瞬の うちに埋まり、“孤独”から解放されました。

 

自殺を止められる

イエスさまを信じて間もない頃、対人関係がうまくいかず、生きていくのがとても嫌になり、もうどうでもよくなった時がありました。不安で眠れな くなり、市販の睡眠薬を一箱飲んで、カミソリで手首を切って死ぬ事にしました。本気で手首を切ろうとした瞬間、私が死んだ後、悲しむ人の幻が見えて、死ぬ 事が出来なくなりました。その後、私の罪と自殺行為に対して深い悔い改めをしました。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きて おられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」ガラテヤ人へ の手紙2章20節

 

神様への献身

クリスチャンになって、一年程して、神様の為に生きたいという気持ちになりました。献身の祈りを捧げ、海外宣教の重荷が与えられ、宣教師になりたいという強い思いで神学生になりました。
短期の海外宣教でアメリカに行く時がありました。チャーチオンザウェイのプレイヤーチャペルで、これからの導きを祈り求めていたところ、二つの事を神様に語られました。
同じ群れの長崎教会に転会する事と結婚相手でした。相手は教会の兄弟で、あまり仲が良くない男性でした。結婚相手の対象として考えた事は、ありませんでした。意外な語り掛けに、心に秘めて帰国しました。

 

結婚の成就

いつかは結婚したいと思っていましたが、ノンクリスチャンの時は、複雑な家庭環境の為、諦めなければならないと自分に言い聞かせていました。病の母を持つ私と結婚してくれる相手がいるのか不安でした。
クリスチャンになってから、御言葉が与えられました。
イザヤ書62章の全体で特に4節
「あなたはもう、「見捨てられている。」とは言われず、あなたの国はもう、「荒れ果てている。」とは言われな い。かえって、あなたは「わたしの喜びは、彼女にある。」と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得る からである。」
と慰めと励ましを受けました。
また、教会の牧師夫人の助言も頂いて、結婚のための条件を70項目あげて、お祈りするようになりました。
数年後、すべての項目がかなえられて、結婚相手の一つの確認となり、結婚に至りました。相手は、アメリカで示された男性です。ハレルヤ。

 

母との同居

結婚して、三年が過ぎた頃、母と一緒に暮らしてほしいとの連絡が祖母よりありました。離婚をせず、籍を入れたままの両親でしたが、別居生活30 年余りで、父と母は一緒に暮らせないと言うのでした。それで一人娘の私が強制的に引き取ることになりました。牧師である主人と当時二歳の娘と三人で、釧路 で暮らし始めて一年が過ぎた頃でした。
迎えに行く旅費もない時でしたが、すぐに献金の助けを頂きました。感謝致します。熊本に住む母を迎えに行く出発の日、釧路の家を出る時に、大きな虹が架かっていました。祝福の約束の虹に、主人と感謝しました。
私が六年生の時に母と離れたので、二十年ぶりの同居生活が始まりました。母は釧路に来る数年前にイエス・キリストを信じ、告白をしていました。我が家に来てからは毎週教会の礼拝にあずかっています。

 

憎しみからの解放

癒され続けている母ですが、病気の母との生活は慣れず、深刻なものでした。何よりも私の内側にある問題が浮上しました。母から受けた虐待による“憎しみ”でした。辛い醜い時を過ごしました。
母は病気のせいもあり、自分がした事を憶えていませんでした。私は鮮明に憶えていて、憤りを覚え、憎しみにかられて、心が痛み、抑えきれず家族にあたり暴れてしまうのでした。何度も何度も母と喧嘩(けんか)をするのでした。落ち着いては悔い改め、謝りました。
しかし、同じ事の繰り返しとなり、幼い頃受けた虐待を赦したいと思う事が出来ないので、母に対する憎しみは、消えませんでした。
一年程してからでしょうか。私に喘息のような症状が許されました。とても苦しくて、辛くて、たまりません。主人にお祈りしてもらったところ、「ばあちゃん(母)を赦してないからだろ」と一言。神様に正直にお祈りしました。
「母から受けた虐待を赦したいと思う事が出来ません。憎しみを持ち続けていることを赦して下さい。そして私の心が、母を赦したいと思えるようにして下さい。」
神様から「わたしがあなたを赦したように、あなたも赦しなさい。」
と語られました。
その頃の教会の中での母が暗い顔をしている姿が思い出されてきました。私のせいで暗い顔になっていると思い、深い悔い改めの祈りへと導かれました。それ以来、母に対する憎しみで苦しむことはなく、私は縛りから解放されました。ハレルヤ。感謝致します。

 

父との同居

父との同居は、まだ考えていませんでした。父は糖尿病を患っていて、私が知らない間に合併症が進んでいました。心筋梗塞二回、脳梗塞、網膜症に なり、車椅子の状態になりました。父にはまだ借金があり、親戚にもだいぶ迷惑をかけていました。高額な入院費、父を迎えに行く旅費もなく、私たち夫婦は困 り果てました。突然降って来た高額な医療費に私たち夫婦は泣き叫び、主にすがり祈りました。神様の助けと兄弟姉妹のお祈りと御献金を頂いて、父との生活が 実現しました。本当に感謝致します。
父と母は、涙の再会でした。住み慣れた土地を離れ、釧路で暮らすというのは父にとって、とても辛いようでした。父は釧路に来てから天に召されるまでの四年半、いつも熊本に帰りたがっては、私たち家族を困らせていました。

 

父の介護

自宅療養となった父は毎週、教会の礼拝に出席しました。父も随分前にイエス・キリストを信じ、告白していました。
糖尿病が初期の頃、入院先で私が福音を伝え、癒しの祈りと賛美のテープを通して、神様に触れられ、心を開いていました。
しかし、釧路に来てからの父は熊本に帰りたくて、頑(かたく)なでしたが、最後のほうでは、進んで教会の礼拝の 為に、着替えて待っていました。主人は、父の入浴介助、世話等、教会に行く時や病院に行く時などの外出には、父を背負い、良くしてくれていました。主人の 事をとても頼りにしていた父は、「清、清」と主人の名前を寝床からいつも呼んでいました。
父と母は同じ部屋で、母が父の食事の補助、着替えなどをし、家族全員が父の面倒を看ました。父の病気を通して、神様が父を私たちのところに、帰してくださいました。
父は意識のある時に「ありがとう。」と言って、その後天に帰りました。天に召された時には、私の内にあった父に対する憎しみ、赦せない心は消え去っていて、まだまだこの地上で一緒に暮らしたいと切望し祈りました。

 

祈りの答え

神様は、私がかつて独身の時に祈った祈りを憶えてくださっていました。バラバラだった父と母、私を一つとしてくださいました。結婚してから共に両親と住めたことは、宝となりました。
人間的には不可能な事も、主は御手を動かして、栄光を現して下さいました。私を孤独と憎しみから解放するだけでなく、両親にも夫婦の回復、私に親子関係の回復を、すべて与えて祝福してくださいました。神様に心から感謝をお捧げ致します。

 

森 シオン
(月刊「雲の間にある虹」2010年3月号に掲載より転載)

教会に行き続ける中で解放されいやされました。
(うつ病で苦しんでいる方, 自殺を考えている方)

 

私は、20数年前に救われましたが、いろんな事があって長い間教会から離れていました。でも事は親のがんがきっかけで、6年前に教会につ ながることになりました。そのころの私は、うつの病状が重く薬がなくては、夜も眠る事が出来ませんでした。私たち姉妹は、幼い頃から親の愛情を受ける事が なく、毎日が争いの絶えない家庭で育ちました。
長い年月の間に虐待を受け自分でも気づかない内にうつ病になってしまいました。精神科に通院しましたがいやされず、頭の中では、どうすれば、楽に死 ねるかと言う事ばかりを考えていました。一人で暮らしていたので、いらいらがつのり、死ぬ場所を求めて夜中中さ迷い歩きました。しかし結局は死ぬ場所が見 つからずバス停のベンチで夜を明かしていました。生きているのが辛く、睡眠薬を飲まず致死量をためて沢山の薬を飲みましたが不思議に死ぬ事が出来ませんで した。左手の甲や腕を刺したり切りつけると言う異常な行動をとり続けて皆に心配をかけていました。でも、義姉と教会に行くようになりました。牧師ご夫妻は いつも私の話を聞いてくださり、祈ってくださいました。又姉が献身していた事もあり日曜礼拝や夜のカリスマ礼拝にも必ず出席をしていました。カリスマ礼拝 においては、牧師夫人にいやしの祈りをしていただきましたが、神さまは預言を通して又賛美を通して、私はあなたをいやすと何度も何度もかたって下さいまし た。私は教会に行き続ける中で少しづつ孤独感やイライラがうすれていきました。気がつくと薬を飲まなくても眠れるようになっていました。今では自分を傷つ ける事もありません。神さまは、私をゆっくりとしかし確実に時間をかけていやしてくださいました。
うつで苦しんでいる方に、神さまを知って頂きたいとと思っています。神さまは必ずいやしてくださいます。

 

渡辺由美子

神のわざがこの人に現れるためです
(不登校でお悩みの方)

 

—息子の不登校3年半を通して神様が教えてくださったこと

「学校に行きたくない」—ここから私たち親子の長い戦いが始まりました。何とか学校へ行かせようと、時にはつかみ合いになることも…。ある日、自分を責める思いの中ですべてをさらけ出して祈ったとき、神様は約束のみ言葉を与えてくださいました。
「ただいま!」と中学2年生になった息子が学校から帰って来ました。カバンを玄関に放り出し、制服も脱ぎ捨てている息子に、「カバンは、部屋に。制 服はハンガーにかけなさーい!」と、声を張り上げているわたしです。こんな日常ありふれた光景ですが、私にとっては大きな喜びでもあります。それは、息子 が学校に行けず、苦しんだ3年半があったからです。
今日は、息子の不登校を通して神様が教えてくださった多くのことを、皆さんにお分かちさせていただきます。

 

「学校に行きたくない」

2003年4月、私たち家族は、多くの確認のもと、主の導きを確信し、生まれ育った北海道から東京へと引っ越してきました。上京と同時に、恵みによって、主人は牧師として立たされ、まさに主に仕え、教会に仕えるという熱い思いで、東京での生活はスタートしました。
子供たちも、下の息子は、近くのキリスト教幼稚園に、上の息子は、小学3年生でしたが、歩いてほんの2分程のところに小学校があり、そこに通うこと になりました。私は、子供たちのいない間、神様のことに専念できると、わくわくしていました。(それまで、主人の母と同居していたので、単純に自分だけの 時間があることがうれしかったのかもしれません。)
しかし、そんな希望に満ちた、そして悩みのない生活は、10日も続きませんでした。
学校が始まって1週間くらいたったある朝、息子を起こすと、「学校に行きたくない。」と言い出しました。「何かいやなことでもあるの?」 と聞いても、ただ、「行きたくない。」を繰り返すばかりです。新しい学校で緊張するとは言っていましたが、クラスメイトが朝迎えに来てくれ、前の日まで は、楽しそうに学校に行っていたのです。
それでもその日は、転校したばかりで環境も変わり、たまには行きたくないときもあるだろうと、無理には行かせず、とにかく感謝していました。
しかし、翌日も同じでした。ここから、私たち親子の長い戦いが始まったのです。
しかし、この期間は、私にとってなくてはならない時となりました。それは、教会で語られている祈り聞き従うこと、感謝すること、教会につながることの、実施訓練となったからです。

 

第1段階—受け入れられない

この訓練の時を、私は、3段階に分けてみました。
まず第1段階は、受け入れられないという段階です。子供は学校に行くのが当たり前、と思っていた私は、学校に行かないことと学校に行かない息子とを 受け入れることができませんでした。初めは、引きずってでも行かせるという思いで、息子に接していました。朝、息子が起きれば、とにかく学校に行かせよう と必死でした。時には諭(さと)し説得し、時には罵倒(ばとう)し、時にはつかみ合いになることもありました。そんな中で、遅れてでも学校に行けると、 ほっとする反面、気力も体力も尽きてしまい、ぐったりしてしまうという毎日でした。そんなにまでして息子を学校に行かせようとするのは息子の事を思ってで はなく、自分にとってそのほうが都合がいいからなのではと思うと、自分がいやでたまらなくなりました。
また、学校に行けなくなった原因がわからなかったので(学校に行かなくても友達は遊びに来ていましたし、先生もよい方でした。)東京に出てきたこと が、間違いだったのではないだろうか? 御心ではなかったのではないだろうか? そのために、子供を犠牲にしてしまったのではないかと、自分を責める思い になりました。
主人に相談すると、いつも「感謝しよう。とにかく感謝だ。」というばかりでした。確かにその頃、2倍の感謝、10倍の感謝と感謝の訓練も本格的になってきている時でした。
感謝だけで解決するとは思われないというのが、その時の私の正直な気持ちでしたが、疑いつつも日々感謝していきました。朝、息子とも感謝し祈り、聖書を読みました。

 

み言葉の約束

ある日、どうしても自分たちのせいで息子はこうなったという思いが強くなり、神様に自分の思いをさらけ出して祈りました。すると、はっきりと次のみ言葉が、与えられました。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネの福音書9章2、3節)
このみ言葉を通して、今許されている困難は、息子のせいでも私たち親のせいでもなく、神様の栄光が現れるためなんだということがはっきりとわかりま した。だから、神様に従っているならばすべてが益となり、このことに神様の大きな計画があるんだと心から信じることができました。そして、東京に来るとき に与えられていた多くの言葉を握り直し、確信に立ち返ることができました。

 

第2段階—自分の力で頑張る

このように、何とか息子の不登校を受け入れられるようになった私は、次の段階に入りました。それは、自分の力で「頑張る」段階でした。
毎日、感謝しつつ、「主よ、今日はどのようにして息子と過ごすべきでしょうか?」と祈りました。無理に学校に行かせないかわりに、私が何とかしてあ げなくてはという思いが強くなっていました。学校に行っていないからといって学力が落ちないように勉強を見たり、外へ連れ出そうと公園や博物館に誘ったり と、結構忙しくしていました。何かしなければ、私自身の気がすまなかったからです。この、頑張る段階のピークが、5年生の秋に行われた移動教室でした。こ れは、2泊3日の泊りがけで軽井沢に行くというものでした。こんな大イベントに参加できれば、その後は自然に学校に行けるのではという期待でいっぱいでし た。担任の先生ともいろいろと相談しましたし、本人も行きたい気持ちは強かったので、参加できるように細かく共に祈りました。
その結果、なんとこの行事に参加することができたのです。帰ってきたときの息子は、とてもうれしそうでした。学校に復帰する絶好のチャンスが来たと思っていました。
しかし、その期待は見事に裏切られました。その後、ぱったりと学校に行かなくなったのです。それまでは、自分の好きな図工とかクラブなど、数週間に1度くらいは行けていましたし、音楽鑑賞会や運動会など行事にも参加していたのですが、それさえも行かなくなりました。

 

第3段階—主にゆだねる

私自身、ここまでやって行けないのならもうお手上げという感じで、何もやる気が出なくなってしまいました。私には、何もできることはないとあきらめたときに、初めて、もう主にゆだねるしかないということがわかったのです。これが、3段階目です。
主にゆだね切る時の平安を知るまでに、なんと遠回りをしたことだろうと思いますが、それまでの一つ一つが訓練であり、通らなくてはならなかった道だと思っています。
さて、主にゆだねてからも息子はすぐに、学校に行けるようになったわけではありません。かえって学校にはほとんど行かなくなりました。しかし、そのような中、家族でイスラエルに行くということが導かれました。
はじめは、怖いから参加したくないと言っていた息子も、「安心して行きなさい」というみ言葉によって、押し出されました。この時は子供たちの参加も多く、同じ教会の友達もいて、久しぶりに息子が心から楽しんで人と接する姿を見ることができました。
神様は、神様の方法で、彼の心と霊を少しずつ解放し、学校へと近づけてくださっていました。学校には行きませんでしたが、本人は、中学校で変わりた いと思っているようでした。私たちは、御心の中学に行けるようにと祈っていました。小学校はもう行けなくても仕方がないと、ほとんどあきらめていました。
私自身も、教会と部門の仕事で忙しくなってきていました。以前なら、息子を置いて出かけていいのだろうかという思いが来ていましたが、主にゆだねてからは変わりました。私は私のやるべきことをして、息子のことは、主にお任せすることにしました。
そして、6年生も夏休みが過ぎ、前の年あんなに頑張った秋の移動教室の時期も過ぎ、息子は、教会と習っているギター教室そして親子で通っていた相談室以外は、ほとんど外に出ないという日々が続きました。
ゆだねているとはいえ、何もせずにボーっとしているように見える息子を目のあたりにすると、ついつい言わなくていいことを言っては、彼を傷つけてしまったり、怒らせてしまうこともしばしばありました。息子を受け入れたくても受け入れられず、息子も、私に反発して来ました。
しかし、神様は、動き出していました。そのころ、ニュースで毎日のように、子どもの自殺が事件として取り上げられていました。原因はさまざまでした が、簡単に命を絶ってしまうことにショックを覚えました。同時に、もし息子もそうなったらどうしようという思いに駆られました。そう思ったときに、今ま で、学校に行く、行かないで一喜一憂していた事を、心から悔い改めました。わたしは息子の存在自体がいとおしいんだ。とにかく、生きていてほしいんだ。そ れでいいじゃないか。とはっきり思いました。「神様はどんなときも共にいてあなたを愛してくださっているから、大丈夫だよ。」と息子にわかってもらいたい と思いました。その時に、与えられた曲が、『やすらぎの歌ゴスペル第7集』(編集部注:雲の間にある虹出版より発行)に載った「あなたはだいじょうぶ」で す。

 

約束の言葉のとおりに

そしてここから、息子が実際にも動き始めたのです。ちょうどイスラエルチームが遣わされ、新たな年を迎えた頃でした。それまで学校には行っていな かったのですが、担任の先生が、最後の学芸会に何らかの形で参加させてあげたいと言ってくださり、音響をやらないかと誘ってくださいました。前日の夜学校 に行き、担任の先生が指導してくださり、学芸会当日は、最後にみんなで舞台に立つ時にも、一緒に出て行くことができました。
このことをきっかけに、週に1日、2日と行けるようになって来ました。加えて3学期は、学校に行けないならと本人が希望して始めたギターのおかげで、最後のクラス発表での合奏に参加することができました。そして、3月、息子を含めた全員で卒業式を迎えることができました。
さらに、中学校に進んだ昨年は、1年間遅刻も、早退もなく、なんと皆勤賞をもらったのです。
もうひとつ、主は、恵みをあらわしてくださいました。それは、学校を長く休んでいる時、やはり、勉強がついていけなくなることが心配でした。そこ で、勉強がついていけなくならないように、特に、復帰した時に、休んでいたとは思えないようにきちんとわかるようにしてくださいと祈っていました。その時 に、「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。」(ルカの福音書2章40節)が示され、休んでいても、知恵に満ちると語 られていました。この言葉のとおり、中学では、学年でもトップクラスの成績で進級することができました。
習っていたギターも、主は、教会でも用いてくださり、中高生の賛美チーム「グロウ・アップ」のメンバーとして、今年の白馬賛美大会に出場します。

 

どんな時も共にいてくださるイエス様

主は、この3年半を通して、私に多くの訓練を与えてくださいました。しかし、その中で、いままで以上に神様に愛されていることを知りました。それ は、息子が学校に行けるようになったから言っているのではありません。これからも、困難や失敗は、私にも息子にも訪れるでしょう。しかし、息子のこのこと を通して、イエス様はいつも共にいてくださり、私たちの弱さ、力のなさ、すべてをご存知の上で、決して見放さず、ありのままで受け入れてくださることを確 信できました。このことは、大きな喜びであり希望です。
今回、私が証しする機会が与えられましたが、いずれは息子自身がこの時のことを振り返って、語り始めることを信じています。
そして、多くの同じような体験をしているお子さんと親御さんに、どんな時も共にいてくださるイエス様のことをお伝えできたらと心から思います。
すべてのご栄光を、主にお帰しします。

 

ジョイ宮下淳子

悩みの日の祈り
(いじめでお悩みの方)

 

——ある日突然、娘が学校でいじめられていることを知りました。私も娘もただ主に祈ることしかできませんでしたが、主は不思議な解決の道をそなえてくださいました。

娘は中学校に入学し、新しいお友達に出会うことを楽しみに学校に行っていました。
ある日、近所の人から、「お嬢さん、最近なんだか元気がないみたいね」と言われて、明るくて元気だった娘の様子がおかしいことに気がつきました。
その頃、私が主人を理解することができなくて、私たち夫婦には言い争いが絶えませんでした。主人との関係がうまくいかないので、子供のことも怒ってばかりいました。娘が元気がないのは、私がイライラして、主人のことや子供のことを怒ってばかりいるからだと思っていました。

そんなときに、娘のブラウスを洗濯しようとしたら、ポケットの中から手紙が出てきました。手紙には、学校に行くよりも、家で勉強したいというようなことが書いてありました。私は、娘が学校に行くよりも家にいたいと思っていることを初めて知り、びっくりしました。
娘は私が手紙を見たことを知り、怒りました。私は、娘に黙って手紙を見たことを謝りました。そして、友達のことを話してほしいと言いましたが、友達のことは言いたくないようでした。
私はどうしたらよいのかわからなくなり、神さまに祈り、もう一度娘と話をし、いろいろなことを聞いてみました。すると娘は、心を開いて話をしてくれました。
ある日突然、理由もわからないのに、友達から無視されるようになり、そのことによって、部活の同級生全員とクラスの人からも無視されていることがわかったのです。
友達から無視されて、娘がとてもさみしく、つらい中にいることがよくわかりました。私は、子供を怒ってばかりいて、母親としてよく話を聞いてあげることがなかったので、申しわけなく思い、とても心が痛みました。
娘は、朝食を食べずに、神さまに、長い時間お祈りをしてから学校に行きました。
何日も祈り続けましたが、状況は変わりませんでした。娘が主に祈っている姿を見て、私も主に祈りました。私がいまできることを教えてくださいと、涙を流し祈り続けました。
そうしたら、いままで気がつかなかったことを知ることができました。そして、娘に話をしました。「お父さんとお母さんはあなたを命がけで守るからね」と本当の気持ちを伝えました。それから娘は少しずつ元気になってきました。

そして神さまは、不思議なことをなしてくださいました。
娘は、どんなことがあっても部活は休まずに行くようにしていました。そんな娘の姿を見て、先輩が「Kさんはえら いよ」と励まし、「私たちはKさんの味方だからね」と言い、それから、部員の前で、「いつまでもけんかをしている人は、やめてもらいます」と言ってくれた そうです。先輩の一言で、部活の友人たちはお互いに悪かったところを謝り、仲直りすることができました。その日は、娘が笑顔で帰ってきて、うれしそうに話 をしていました。私もうれしくて主に感謝しました。

そのことがあってから、娘は、どんなことでも神さまにお祈りをしています。いまでも朝は朝食よりも祈りを第一としています。祈っているときは部屋に入れてもらえませんが、祈り終わって部屋から出てくるときには、笑顔で、とても平安な顔をしています。
娘に教えられることがあります。この前も、「お母さん、人に悩みを話す前に、まず神さまにお祈りしてから話をするといいんだよ。人間が手で造った神さまでなく、神さまは生きておられるんだよ」と話をしてくれました。
娘は祈りが聞かれた体験を通して、神さまはいまも生きておられることを信じています。
そして、いまでは、無視したお友達とは、親友となり、楽しく過ごさせていただき、学校も楽しく行っています。本当に主に感謝しています。

娘のことを通して、私たち夫婦も、神さまに祈ることがどんなにすばらしいことなのか、この目で見させていただきました。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に 会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」(Iコリント10章13節)

この御言葉は真実であることを体験させていただきました。
家族一人ひとりが神さまとの祈りの時間を第一に持つことができるようになりました。そのことによって、家族で楽しく会話をしたり、何でも話し合えるように変えられています。
神さまがすべてのことを益として変えてくださることを、感謝しています。私は、娘のことを毎日主に祈り続けています。

 

(K)
(月刊「雲の間にある虹」1997年1月号(発行:雲の間にある虹出版)より転載)