わたしは祝福されるべき模範的なクリスチャン

 はたちに学生運動の挫折からようやくクリスチャンになったわたしは、毎週必ず教会に通う熱心な信徒のつもりでした。やがて願っていた典型的なクリスチャンホームを築け、ますます教会の奉仕に励みました。そのうち教会の執事に、教会学校校長にと働きが広がり、これだけ教会に尽くしているのだからと、自分はいつか天国に間違いなく行けるにちがいないと思うようになりました。

 

どうしてこのようなことが・・・・・

 ところが40歳になった時でした。妻の母がガンにかかり、看病している妻は「これはおかしいな?」と感じられるほど日に日に衰弱して行きました。ただならぬ気はするのですが、事情が事情でしたので、心ゆくまで看取った後には、回復して行くだろう、そう甘く受け止めてしまいました。しかし、母親の召天後も妻の激痩せはいっこうに改善されないだけでなく、ますますやせていきました。さすがにうといわたしも、「拒食症」という言葉が脳裏に浮かぶようになりました。

 拒食症は本人に病気の自覚がありません。しかたなく、最初は夫のわたしが病院に通いました。すると「あなたの奥様は残念ですが、(思春期でなく)高齢です。しかも原因であり、治癒の柱でもある母親がすでに亡くなられてからですので、治癒された例をわたしは知りません。残念ですが、ほとんどの方はいろいろな形で亡くなられて行きます。」と宣告されてしまいました。

「そ、そんなひどいことが・・・・・どうしてわたしの家族に!」とわたしは苦しみながら思い、「クリスチャンホームに、こんな悲劇がゆるされていいものか!」と両手を天に突き出し、叫ぶばかりでした。

 

憎しみの矢を受け止め続けて

 病気の自覚の無い妻は、そのいのちを救うために、檻のある病院にどうして自分が愛する娘たちと引き裂かれ、入院しなければならないのか、受け入れることができません。病院では「あなたの夫の許可を得て、入院させている」と答えるので、いきおい妻は「どうしてわたしを退院させてくれないの?」「わたしが何か悪いことをした?」と言い、すぐに「退院させてくれなければ、死んでやる!」と激しい憎しみをわたしにぶつけるようになりました。自分の体を骨粗鬆の限界にまで痛めつける痛みは、激しい敵意をたぎらせながら夫へ、夫へと向かうのだった。

 

当時のメモ

 最近は身長163センチの妻の体重は25kg近くになった。足も思うように上がらず、歩けなくなっているのに,「今度こそ絶対に入院しない」とがんばる姿に,十年以上、いや再び晴れて共に暮らせる日が来ないかもしれない強制入院という最終的決断をしなければならない日が近いことを思わざるをえなかった。

 病院の治療を拒む割には,病院を自分の都合のよいように使いたい妻は、最近最初に入院した○○病院の名前を出すようになった。これを幸い本日ようやく○○病院へ連れていく。着いて12:00近く。既に診察時間は終わっていたが,特別にドクターに会っていただく。 昼14:00に診察。目指していたが,本人の抵抗で即入院とはならず。私が言 い出した行動制限(3年前の経験から,段階的な体重増をめざし,とりあえず外泊不可を申し出た)にこだわったためだ。しかし,精神療法を受け付けない彼女に,わたしは断固これを譲りたくなかったからだ。この席で体重30kgを外出解除,体重35kgを外泊解除と決める。

 10/15(水)夕方5時に○○病院に着く。しかし,2Fに上がるための二重の遮断扉を前に,入室を渋りだし,とうとう自分の病室となる部屋のドアにいくつものなぐって開けられた穴を見るなり、入院の意思を失った。いわく「雰囲気が合わない」「ドア,怖い。」「病室で食べるための小さなテーブルがあったのに,無い。」と抵抗をし始める。何度も進められた入院承諾書に,この日はサインせず。「夫に押し込められる」「すぐに退院させて」を繰り返す。何とか両耳をふさぐようにして妻を置いて帰る。帰ると待ちかねたようにTelあり。「ひどい」「こわ くて眠れない」「お母さんと呼ばれる」「明日は即私を引き取りに来て」etc。取り合わないと分かると「ガチャン!」と電話を切る。情けなし。涙止ま らず。

 

 10/19(日)妻からすごい電話がかかってくる。要はここ(○○病院)から自分を退院させろということ。「それはあなたのためにならないから」と断ると「治った時はどうなるか知ってる,離婚よ。(木)」「死んでやる。(金)」「胸の骨がゴキッと音がした。△△外科に連れていけ。(昨日)」・・・・これらの電話を聞くことは辛い。受話器を置いた後,しばらくは息をする事がしんどい。これらの妻の訴えを聞き届けると,3年前と同じように完治せず退院して,脊椎圧迫骨折など悪夢のシナリオが再現される。しかし,妻は退院を病院に要求し,私に早く退院の依頼をするよう,このように訴えているのだった。病院は夫婦で話し合って結論を出すようにと返答したようだ。

 

 10月某日、夜電話あり。「自殺する。犬のメリーのことだけが心配だ。もう心残り無い。さようなら。」病院へあわてて妻が自殺するおそれありと電話する。すると,妻からまた電話あり,「今夜は同室の人が外泊だ。何だって死ぬことはできる。看護婦へ言ったってだめよ。」とのこと。台所で食器洗いをしていた私は,へなへなと床に座り込んでしまう。


・・・・・(こういう状態なので,この金曜日,私は仕事上で非常に大きな判断ミスをしてしまい,その対応に追われた。)・・・・
  土曜の昼,帰宅した頃ようやく主治医のドクターと電話連絡できる。「二人で相談され,治療の続行か退院かを決められたと思いますが,どうされますか?」結 論を言う前に妻の現状を聞く。すると、肉体を支配するのが病理の一つらしい。思い当たる。その上で、ドクターに「治療の可否は妻にではなく,実は夫であるわたしにあることがこの3年間で分かった」と告げる。この時には任意から強制入院に切り替えることを決意し,先生に告げる。重苦しい夜だった。

 10/20(月)病院の妻から電話あり。給料が入ったばかりなのに,ローン,銀行・電気・ガスなどの支払いを済ませると,もうほとんど手持ちがないことを言う。するとそれからが大変だった。「ここは高い。公立病院に移して。」「胸が痛い。他の病院、外科へ連れてってと頼んでも,ここではその様なことはしないと取り合ってくれ ない。」周囲に遠慮しての低い声だろうが,凄みのある声なり。


 わたしはとうとう強制入院にサインできなかった。たとえ治って退院できたとしても、その時の妻は、まったく違う人物であろうと思う。何よりもそのことにわたしは耐えられない。病院側は強制入院の権限は、夫の拒否にあってもできるのだが・・・・としながらも妻をこれ以上治療することを拒否すると通告してきた。医療から「見放される」とは、こういうことなのだ。

 

 ・・・・・つづく